べらぼう第18話あらすじ~蔦重栄華乃夢噺~
さらば源内、見立は蓬莱
将軍徳川家治(演:眞島秀和)の嫡男家基(演:奥智哉)が急死。続いて、老中の松平武元(演:石坂浩二)までもが謎の死?
となれば当然、疑いの矛先はあの人、そう、改革の申し子・田沼意次(演:渡辺謙)!
だけど、ここでうっかり真相を暴こうもんなら、将軍の身すら危ういって、江戸城どうなってんの⁉︎
そんな中、田沼は科学オタクの天才平賀源内(演:安田顕)を呼び出し、なんと“調査終了”の礼金をポン。調べるな、ってことかよ!
源内、納得できるわけもなく、「オレを誰だと思ってんだ!」とばかりに小判をバラまき屋敷を後に。
ここまではまだ、良かった……よね。
しかし、エレキテルで一世を風靡した源内だけど、世間からはまさかの「詐欺師扱い」。
長屋を追い出され、「不吉の家」という曰くつき物件に引っ越し。怪しさMAX。でも源内は大工の久五郎(演:齊藤友暁)から仕事をもらい、謎の甘~い煙草をプッカプカ……。
そこへ心配してやってきたのが、我らが文化の守護神・蔦屋重三郎(演:横浜流星)。けれど源内は煙草片手にハイテンション。「この仕事、絶対田沼の差配っしょ!」とキラキラしながら語る姿に、蔦重もひと安心。
……だったのに。数日後、「源内、人を斬ったってよ!ウソでしょ⁉︎」の衝撃ニュースが江戸中を駆け巡る!
奉行所の取り調べによると……
事件の夜、屋敷では源内・久五郎・丈右衛門(演:矢野聖人)の三人で酒盛り。でも源内って下戸なんですけど!?
仕方なく、例の甘い煙草を吸ったら…謎の声が聞こえ、意識を失い——
目覚めると、手には血まみれの刀、そばには倒れた久五郎。いやいや、ホラーすぎて無理。しかも源内、刀は全部売ってたはずなんよ⁉︎
奉行所は「酔っ払いの犯行」とバッサリ。即・牢送り。いや、だから、源内は下戸だってば!
そんな源内を訪ねたのは、まさかの田沼意次。源内が「あんたの差配だろ?」と訴えると、田沼は「知らん」とバッサリ。ここで源内、メンタル崩壊……。
「声が聞こえるのに誰もいない。夢と現実の境がわからない…」って!
田沼が源内の手を取り「夢じゃない。オレはここにいる」って言うと、源内の瞳に涙。(安田顕、渾身のラスト演技!涙、涙、涙なくして見られない!)
その後、重三郎、須原屋市兵衛(演:里見浩太朗)、杉田玄白(演:山中聡)たちが田沼に直談判。源内の無実をガチ弁護!
・刀は竹光しか持ってなかった!
・源内、下戸で酒飲めない!
・何より、原稿が冒頭のたった1枚だけ?……そ、そんなはずはない!
これに田沼、無言でその原稿を握りつぶす気配。重三郎、ブチギレ!田沼に向かい「怪しいのはお前だー!!」の大絶叫!
…と、そのとき。「源内、獄死」の一報!
うそでしょ⁉︎ え、終わり!?闇すぎてヤバくない!
平賀源内の死の真相は、幻覚か陰謀か?
田沼の本心はどこにあるのか?果たして、蔦重たちはどう動くのか⁉︎
そして、最後の最後に、源内の原稿を燃やしていた……
一橋治済(演:生田斗真)果たしてラスボスか!怖!怖!怖!怖!怖——————!
時代を超えて江戸を伝える語り部
時代屋こはる
江戸の粋と人情に恋した「時代屋こはる」。ドラマの情景を鮮やかに描き、笑いと涙を織り交ぜながら、今に蘇る歴史の物語を語り継ぐ。時にツッコミ、時に胸アツな筆さばきが自慢。歴史好きの皆さまに「そう来たか!」と言わせる快作に挑戦中。
べらぼう[用語解説]
須原屋市兵衛(すはらや いちべえ)
須原屋市兵衛は、江戸時代中期に活躍した書物問屋で、江戸日本橋に店を構えました。須原屋茂兵衛の分家にあたり、号は申椒堂(しんしょうどう)と称しました。彼は、平賀源内や杉田玄白ら蘭学者の著作を積極的に出版し、特に杉田玄白らによる日本初の本格的な翻訳医学書『解体新書』(1774年)の刊行元として知られています。
杉田玄白(すぎた げんぱく)
杉田玄白は、江戸時代中期の蘭学者・医師で、1733年に生まれました。彼は、オランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、日本初の本格的な解剖学書『解体新書』を1774年に刊行しました。この業績により、西洋医学の知識が日本に広まり、蘭学の発展に大きく寄与しました。また、杉田玄白は、蘭学者としてだけでなく、江戸幕府の医学行政にも関与し、医学の近代化に努めました。
一橋治済の詳細(ひとつばし はるさだ)
江戸時代中期から後期にかけて活躍した一橋家の2代目当主であり、8代将軍徳川吉宗の孫、11代将軍徳川家斉の実父として知られています。その生涯は、幕政への深い関与や権謀術数に満ちたもので、「江戸の怪物」や「影の将軍」とも称されました。
【一橋治済の略歴】
- 生年と家系
宝暦元年(1751年)、一橋家初代当主・徳川宗尹の四男として生まれる。8代将軍徳川吉宗の孫にあたる。 - 家督相続
14歳で父・宗尹の死去により一橋家の家督を継ぎ、「徳川民部卿治済」と名乗る。 - 将軍後継問題への関与
長男・家斉を10代将軍家治の養子とし、家斉が11代将軍に就任する道を開く。 - 幕政への影響力
田沼意次政権の崩壊後、松平定信を老中首座に推挙し、幕政に大きな影響を与える。 - 没年
文政10年(1827年)に77歳で死去。
【一橋治済の政治的影響力】
- 将軍継嗣問題への介入
家治の後継者として、長男・家斉を推挙し、将軍就任を実現。 - 田沼意次政権の崩壊
田沼意次を排除し、松平定信を老中首座に据えるなど、幕政の人事に深く関与。 - 「尊号一件」への関与
光格天皇の父に太上天皇の尊号を贈る問題で、幕府と朝廷の対立が表面化し、治済もその調整に関与。 - 「影の将軍」としての存在感
将軍家斉の若年就任に伴い、実質的な政権運営を担い、「影の将軍」と称される。
【一橋治済の人物像と評価】
- 権謀術数に長けた人物
政治的な策略に長け、幕政に大きな影響を与えた。 - 贅沢な生活
権力を背景に贅沢な生活を送り、その豪奢さは当時の人々の話題となった。 - 文化人としての一面
和歌や書道に秀で、文化活動にも積極的に関与した。 - 評価の分かれる人物
その政治手腕と贅沢な生活から、評価は賛否両論である。
一橋治済の生涯は、江戸幕府中期から後期にかけての政治的変動期において、幕政に深く関与し、その影響力を行使したものでした。その存在は、幕府の権力構造や将軍継嗣問題に大きな影響を与え、江戸時代の政治史において重要な位置を占めています。