喜多川歌麿・美人画1

喜多川歌麿・美人画1

喜多川歌麿①

姓は北川、後に喜多川。天明初年頃から歌麻呂、哥麿と号す。生前は「うたまる」と呼ばれていたが、直接本人を知るものが居なくなった19世紀過ぎから「うたまろ」と呼ばれるようになったようだ。なお、天明2年(1782年)刊行の歳旦帖『松の旦』に「鳥山豊章」、「鳥豊章」の落款例がある。俳諧では石要、木燕、燕岱斎[要出典]、狂歌名は筆綾丸(ふでのあやまる)、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。

生年、出生地、出身地など不明。生年に関しては、没年(数え54歳)からの逆算で1753年(宝暦3年)とされることが多い。出身に関しては、川越説(野口米次郎・関根只誠)と江戸市中の2説が有力だが、他にも京、大坂、栃木などの説もある。

(ウィキペディア)

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