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べらぼうに儚い誰袖の恋と最期

NHKドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で、ひときわ視線を引き寄せた花魁・誰袖(たがそで)
演じたのは、透明感と芯の強さをあわせ持つ福原遥さんです。

華やかで艶やか、それでいて儚さをまとった彼女の姿に、心を揺さぶられた視聴者も多いのではないでしょうか。

実はこの誰袖、江戸後期に実在した伝説の花魁をモデルにしています。

その名は、文人たちにも詠まれ、愛され、そして歴史の闇に呑み込まれた女性。

今回は、そんな彼女の数奇な人生をたどりながら、時代の波に翻弄されたひとりの女性の姿を描いていきます。

大文字屋の頂点、誰袖とは

誰袖が名を馳せたのは、江戸・吉原にあった名門妓楼「大文字屋(だいもんじや)」です。
その中でも彼女は「呼び出し」と呼ばれる最高級の花魁でした。

「呼び出し花魁」とは、昼三(昼の揚代三分)と呼ばれる高位の格付けで、まさにその名を聞けば誰もが知る存在だったのです。

その源氏名「誰袖(たがそで)」は、平安時代の和歌から取られています。

色よりも 香こそあはれと 思ほゆれ 誰が袖ふれし 宿の梅ぞも

ここでの「誰が袖」とは、匂い袋の名前としても用いられる言葉です。
梅の花に残る香りから、かつて袖を通した誰かの面影がよぎる——そんな余情ある名に、彼女の世界観がにじみ出ています。

千二百両の愛〜土山宗次郎の誰袖身請け劇

誰袖が歴史に名を刻んだ最大の出来事は、千二百両という途方もない金額での身請けでした。

身請けしたのは、幕府の勘定奉行配下であった土山宗次郎という男。
彼は蝦夷開発や新田開発に深く関わる実力者で、田沼意次の側近として知られていました。

宗次郎は、誰袖のために豪邸「酔月楼」を用意し、文人たちを集めては宴を開くという贅沢三昧の日々を送ります。
身請け金は千二百両。現代で換算すれば、およそ3000万円から1億円以上とも言われます。

これは単なる「恋」ではなく、まさに愛という名の奇跡だったのです。

土山宗次郎、破滅の連鎖〜誰袖、政治スキャンダルの渦中へ

しかし、その愛の行く末はあまりにも儚く、やがて破滅の道をたどっていきます。

天明6年(1786年)、将軍・徳川家治の死を機に、田沼意次が失脚。
そのあおりを受けるように、土山宗次郎も調査の対象となりました。

発覚したのは、米買い上げでの水増し請求による500両の横領
さらに、娘の死亡届けを提出していなかったこと、そして何より、誰袖との不適切な関係が問題視されたのです。

宗次郎は逃亡しますが、ついに捕らえられ、天明7年(1787年)に斬首刑となりました。
判決文には、彼の愛した女性——誰袖の本名すが」、そして当時の年齢「二十四歳」が記されていました。

たった3年の夢でした。
時代がひとたび動けば、愛さえも贅沢と罰せられたのです。

花魁・誰袖(たがそで)

誰袖の運命〜消えた花魁

宗次郎の処刑以降、誰袖の記録は歴史の中から忽然と消えます

その後の運命にはいくつかの説があります。

  • 夫の罪に連座して、公の場から抹消された
  • 土山家の財産没収により、生活が破綻した
  • 病死、自害、放浪など、悲劇的な最期を遂げた
  • 名前を変え、別人として生き延びた

ですが、いずれも明確な証拠は残されていません。
誰袖は名を消され、記憶からも追われた——まるで、その存在ごと封印されたかのようです。

狂歌女郎としての誰袖の才能

誰袖は、美しさだけでなく、文学的な才能でも多くの文人を魅了していました。

江戸中期には、狂歌(ユーモラスな和歌)が一大ブームとなり、多くの遊女たちが狂歌を詠んでいました。
その中でも誰袖はひときわ評価が高く、『万載狂歌集』巻十二には、彼女の作品も収められています。

忘れんと かねて祈りし かみ入の などさらさらに 人の恋しき

「忘れようと願いながら、手紙を収めた紙入れを手にした瞬間、かえって恋しさが募る」
まさに、心の裏側を鋭くとらえた一首です。

大田南畝や朱楽菅江といった狂歌師とも交流があったとされ、彼女はただの遊女ではなく、知性と感性を併せ持つ文化人でもあったのです。

ドラマ『べらぼう』における誰袖像

ドラマ『べらぼう』では、誰袖は美しく、聡明で、そしてどこか壊れそうな女性として描かれています。

演じた福原遥さんの凛とした佇まいと、時折見せる儚げな表情は、史実の誰袖にぴったり重なります。
ただ愛されたかった、ただ生きたかった——そんな声なき声が、演技の奥から伝わってくるようです。

ドラマは創作を交えつつも、時代の風に翻弄された実在の女性たちの思いを掬い取ろうとしています
誰袖は、確かにそこに生きていた。そんな確信を抱かせてくれる描写です。

べらぼうに儚い誰袖の恋と最期[まとめ]

誰袖の声に、いま耳を澄ます……

誰袖の人生は、華やかな舞台の裏で、愛と哀しみを背負いながら生き抜いたひとりの女性の物語です。
それは、江戸という時代の縮図でもあります。

美しさを求められ、愛を売り、名前を消される——そんな矛盾した世界で、彼女は精一杯に自分を咲かせました。

「忘れんと祈りし……」という一首は、彼女自身の願いだったのかもしれません。
忘れられたくない、でも思い出されることが怖い。その相反する想いの中で、誰袖は静かに歴史の中に消えていきました。

けれどいま、私たちはその名を再び呼ぶことができます。
べらぼうに美しく、切なく生きた誰袖の声に、そっと耳を傾けてみませんか?