べらぼう第18話あらすじ~蔦重栄華乃夢噺~
お江戸揺るがす座頭金
闇が深すぎて震える!
座頭金(ざとうがね)の正体が、ついに白日のもとに──!
蔦屋重三郎(演:横浜流星)の元に飛び込んできたのは、またしても鱗形屋孫兵衛(演:片岡愛之助)が偽板で捕まったという衝撃ニュース。
もう懲りて〜!と叫びたいが、今回はちょっと事情が違った。
なんと、息子で番頭の徳兵衛(演:三浦りょう太)が、あの座頭=盲人の高利貸し組織「当道座」に追い詰められ、秘密裏に偽板を作っていたというヤバすぎる展開!
しかもその資金の出どころは、あの鳥山検校(演:市原隼人)率いる座頭チーム。
そう、幕府お墨付きの金貸し業なんだけど、利息が鬼すぎて庶民も武士も大名もドン引き状態。
座頭にハマった旗本たちの中には、娘を金のカタに売る者も。鬼畜か!
これにブチギレた田沼意次(演:渡辺謙)、ついに動きます!
勘定奉行の松本秀持(演:吉沢悠)に座頭屋敷のガサ入れ指令、さらに長谷川平蔵(演:中村隼人)には江戸城の「西の丸」内部調査を命じ、情報網フル回転!
そして発覚する、闇の手口がエグすぎた!
返済不能な家には、嫡子を強制出家させて家を乗っ取り!出た!詐欺まがいの恐喝マニュアル!
さらに、旗本の森忠右衛門(演:日野陽仁)が消息不明に。
これは座頭絡みだと確信した田沼が動き、ついに親子揃って江戸城に召喚!
忠右衛門の語った真相が、もう切なすぎて涙腺崩壊……。
息子・森震太郎の御番入り(役職ゲット)のために座頭から金を借り、賄賂に!
なのに夢叶わず借金だけがズシンと残り……。切腹を決意する父を、息子が止めて一家で出家。人生まるごと詰んでた。
田沼は「これは江戸の未来に関わる!」と将軍・徳川家治(演:眞島秀和)と家基(演:奥智哉)の前で堂々進言。
陰湿な松平武元(演:石坂浩二)は、またもや反対の立場を取ります。が、田沼は一切引かず、「このままじゃ家が消える!人が壊れる!江戸が終わる!!」とプレゼンし、家治もついに納得。
「余は、徳川家臣や民を救うべきだと考えている」
ここでの家基のセリフが、マジで胸アツだった。もう、イケメンすぎて爆発して!!
一方その頃、鳥山検校と瀬川(演:小芝風花)の関係が完全に拗れに拗れてた。
蔦屋の赤本を部屋に置いていたことで、鳥山検校は瀬川にブチ切れ!
「わしは所詮、客か!?」って——嫉妬こじらせすぎて怖いんですけど!?
検校、瀬川を軟禁。さらに蔦屋との関係を疑い、「返信次第では斬る」と究極の二択を突きつける!
だがここで、瀬川が見せた覚悟が…もう…尊すぎて拝むレベル!
「蔦重は、自分にとって光のような存在。でも、今はその想いを断ち切りたい!」
と、なんと自ら脇差を胸にあてて「信じられぬなら、この命を取って!」と差し出す!
いやもう、ヒロイン覚醒すぎて泣いた!
これには鳥山検校も一瞬動揺した様子。だが、この命がけの愛がどこまで届くのか──!
そして、蔦屋重三郎はこの事態を知るのか!?
鳥山検校の闇と座頭金の巨悪に、どう立ち向かうのか!?
時代を超えて江戸を伝える語り部
時代屋こはる
江戸の粋と人情に恋した「時代屋こはる」。ドラマの情景を鮮やかに描き、笑いと涙を織り交ぜながら、今に蘇る歴史の物語を語り継ぐ。時にツッコミ、時に胸アツな筆さばきが自慢。歴史好きの皆さまに「そう来たか!」と言わせる快作に挑戦中。
べらぼう[用語解説]
当道座(とうどうざ)
当道座は、江戸時代の盲人男性による職能組織で、音楽や鍼灸などの職業を独占的に担っていました。最高位の「検校」に昇進することで、組織内での権威と経済的利益を得ることができました。
一部の検校は高利貸し業にも手を広げ、庶民や武士に貸し付けを行い、莫大な財を築いたとされています。
松本秀持(まつもと ひでもち)
松本秀持は、江戸時代中期の幕臣で、享保15年(1730年)に生まれました。
身分の低い家柄から勘定奉行にまで昇進し、田沼意次の側近として蝦夷地開発や印旛沼・手賀沼の干拓など、経済政策を推進しました。
田沼政権の崩壊後は失脚し、知行を半減されるなどの処分を受けました。
長谷川平蔵(はせがわ へいぞう)
長谷川平蔵は、江戸時代中期の旗本で、火付盗賊改方の長官として知られています。
青年時代は「本所の銕(てつ)」と呼ばれるほどの遊び人でしたが、後に改心し、治安維持に尽力しました。
小説『鬼平犯科帳』の主人公のモデルとしても有名です。
森忠右衛門(もり ちゅうえもん)
森忠右衛門は、江戸時代中期の旗本で、小姓組として将軍家に仕えていました。
高利貸しからの借金に苦しみ、一時は自害を図るも、家族と共に出奔し、出家して医師となりました。
その後、盗賊騒ぎに巻き込まれたことを恐れ、自ら出頭しています。
徳川家基(とくがわ いえもと)
徳川家基は、江戸幕府第10代将軍・徳川家治の長男で、将軍世子として期待されていました。
文武両道で政治への関心も高かったとされますが、18歳の若さで急逝し、「幻の第11代将軍」とも呼ばれます。
その死は幕府内外に大きな衝撃を与え、後継問題にも影響を及ぼしました。