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海を越える憧れ、日本とフランスの150年

ラファエル・コラン《眠り》黒田清輝《野辺》

ポーラ美術館 2020.11.14(土)〜2021.4.4(日)

住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山 1285 電話:0460-84-2111
大人:¥1,800(¥1,600)/大学・高校生:¥1,300(¥1,100)/中・小学生:無料 ※()=前売り券
https://www.polamuseum.or.jp/sp/connections/

日仏150年の「美の往還」。
ジャポニスムと関係の深いモネやゴッホ、
フランスで学んだ黒田清輝や岡田三郎助、

そしてセザンヌやルノワールと彼らに心酔した安井曾太郎など、
19世紀後半から現代に至るまでの「美の往還」を辿ります。

ラファエル・コラン《眠り》ラファエル・コラン《眠り》

黒田清輝《野辺》黒田清輝の代表作《野辺》

HIGHLIGHT 黒田清輝の師〜ラファエル・コラン《眠り》幻の作品が120年ぶりに公開
長らく所在が不明とされてきた《眠り》がパリから初来日し、120年ぶりに公開。愛弟子・黒田清輝の代表作《野辺》との邂逅を果たします。
数多くの裸婦像を残した黒田の代表作《野辺》には、彼がフランスで師事したラファエル・コランの《眠り》からの影響が指摘されてきました。1900年のパリ万博で、黒田は実際に《眠り》を見たと言います。

第1章 ジャポニスム-伝播する浮世絵イメージ
フランスと日本の「美の往還」の歯車が本格的に動き始めた19世紀後半。モネやゴッホは浮世絵をコレクションし、その斬新な構図や色使いを自作に取り込んでいきました。

第2章 1900年パリ万博-日本のヌード、その誕生と展開
フランスに留学した黒田清輝や岡田三郎助らの明るい色彩表現を特徴とする「外光派」が、新しい潮流を生み出しました。
特に黒田は、日本に裸体表現を根付かせようと苦心します。

第3章 大正の輝き-ゴッホ、セザンヌ、ルノワールと日本の洋画家たち
大正時代の幕開けとともに、日本の近代美術は大きな変革期を迎え、ゴッホやセザンヌ、ルノワールらの作風だけでなく生き方にまで感化される芸術家が続出しました。日本人による西洋美術の本格的な収集も始まります。

第4章「フォーヴ」と「シュール」
シュルレアリスム作品や、激しい色彩表現と大胆な筆致を特徴とするフォーヴィスムのスタイルをいち早く吸収し、独自の解釈を加えて創作に励む日本人が現れ始めました。

エピローグ フジター日本とフランスの往還の果てに
日本人というアイデンティティに翻弄されながらも、フランス人として生涯を終えたレオナール・フジタ(藤田嗣治)。日仏両国の間で苦悩しつつ、双方の芸術の融合に挑んだ芸術家像をひもときます。

ラファエル・コラン

ラファエル・コランフランスの画家。パリ出身。
エコール・デ・ボザールに師事
1873年 美術アカデミーのサロン入選作「眠り」でデビュー
1894年 レジオンドヌール勲章受章。画学校を主宰
1902年 エコール・デ・ボザール教授になった。
日本から留学した黒田清輝らを指導
生年月日: 1850年6月17日〜1916年10月21日
出生地: フランス パリ
学歴: 国立高等美術学校
受賞歴: 聖ミハエル勲章 (バイエルン)

黒田 清輝(くろだ せいき)

黒田 清輝日本の洋画家、政治家。位階は従三位。
勲等は勲二等。爵位は子爵。
通称は新太郎。
名の清輝は、本名は「きよてる」、画名は「せいき」と読む。
教え子からは「メートル」とフランス語で呼ばれた。
東京美術学校教授、帝国美術院院長、貴族院議員などを歴任した。
生年月日: 1866年8月9日〜1924年7月15日
出生地: 鹿児島県 鹿児島市 東千石町
学歴: 東京外国語学校、 千代田区立麹町小学校、 二松学舎大学
設立した組織: 白馬会