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様々な浮世絵

浮世絵は彼岸の世界より此岸の現実

浄土での成仏を願い、この世をつらいと感じる厭世的な人生観。だからこそ、つかの間の仮の世でも、楽しく暮らそうという考え方が「浮世」の字には込められています。

すなわち、過去や未来よりも今の時代「浮世」を描くのが、江戸時代に開花した浮世絵です。

浮世絵師たちは、時代の最先端を行く風俗や話題に敏感で、好奇心旺盛でした。その表現方法も新鮮な趣向と新奇な描法に満ちていました。

「憂世」であるからこそ、庶民や浮世絵師は享楽的な人生観、好色で淫靡な世界にのめり込みました。

その意味でも、当時の遊里(遊郭)と芝居町は絶好の場所でした。遊女、美人、役者は浮世絵の代表的な題材であり、人気を得ました。

また、浮世絵は「江戸絵」とも呼ばれます。

「江戸絵」は、江戸を訪れた人々が郷里へのお土産として購入するのに適しており、比較的安価で軽く、都会的なものでした。

浮世絵は版元なくしては誕生しない工芸品

武家社会の美術といえば、狩野派です。狩野派は中国宋元派と室町時代の漢画を源泉とし、大和絵を取り入れた古典指向の強い絵画です。

これに対して、浮世絵は庶民や大衆の美術です。また、忘れてはならないのが、浮世絵を出版する版元の存在です。

版元が雇っている木版の彫師、摺師なくしては浮世絵は誕生しません。だから、浮世絵は美術品であると同時に工芸品でもあるのです。

浮世絵はあらかじめ作られた「仕込み絵」

浮世絵は注文を受けて描かれるものではなく、版元が庶民の好みを見て(今でいうマーケティング)、あらかじめどんな作品を浮世絵師に描かせるか決めます。

だから、売れるものもあれば売れないものもあり、その結果、人気浮世絵師も登場するのです。

そうした人気浮世絵師が、歌麿や北斎、写楽です。これらの浮世絵師の中には、時には版元に反発する実力者もいました。

もちろん、反発して世に出ない天才的な浮世絵師もいたでしょう。これは流行作家と同じです。

ちなみに、浮世絵が登場した時代(1681~1684)は、井原西鶴の浮世草子(小説スタイル)が出てきた時代です。

これらには共通する時代の感情が流れていました。

広重「亀戸梅屋敷」を模写して描いたゴッホ「花ざかりの梅」

そんな浮世(憂世)を描いた浮世絵だからこそ、フィンセント・ファン・ゴッホなどの西洋人の心を動かしたのだと思います。

ゴッホは貧しい中でも浮世絵を購入し、油絵で模写もしました。

ここに、歌川広重作「名所江戸百景 30-亀戸梅屋敷」を模写したゴッホ作「花ざかりの梅」を例に挙げておきます。

広重「亀戸梅屋敷」とゴッホ「花ざかりの梅」広重「名所江戸百景 30-亀戸梅屋敷」とゴッホ「花ざかりの梅」

【参考】カラー版・浮世絵の歴史