(作品解説より 太田記念美術館副館長 永田生慈)
この図はかつて「帰農図」と呼ばれたことがあったが、まさに農夫が一日の仕事を終え、馬に乗って家路につく光景である。馬は疲れ、農夫からも労働後の安堵感が看守されるのは、さすがという他ない。
この「馬上農夫図」は、淋派を研鑽していた三十代後半の壮年期に制作された代表的作例ということができるが、水の湾曲した流れと、畦の杭で奥行きを表現し、既に老練な筆致すらみせているのには、驚かされるばかりである。
定価 130,000円(税込)
上下表装布=洛北緞子
中廻し=貴船緞子
一文字布=新金欄
風帯=新金襴
本紙=鳥の子(和紙)
軸先=紫檀
印刷=多色オフセット印刷八色刷
収納箱=桐箱上製外箱付
掛軸寸法=天地170.0糎 左右36.0糎
本紙寸法=天地83.0糎 左右26.0糎
所蔵=日本浮世絵博物館
監修・解説=永田生慈
(太田記念美術館副館長)
初公開
日本浮世絵博物館秘蔵の北斎肉筆画
第三弾
「馬上農夫図」の「北斎宗理」名の作品は、他にも数点知られている。
北斎は、生涯において三十種程の画号を用い、画風もそれにしたがって変遷をとげてきたといわれている。その中で「北斎宗理」という落款を用いた時代は、北斎が十九歳で勝川春章に弟子入りし、最初に浮世絵を発表した「春朗」名のあとにみられる画号である。
北斎は、その生涯において一浮世絵師に止まることを潔しとせずにあらゆる流派の画法を習得するべく努力を惜しまなかったといわれている。師春章のもとをはなれてさいしょにみるらっかんの「宗理」は、江戸初期から日本の絵画史上に燦然と輝く木阿弥光悦、俵屋宗達を祖として尾形光琳・乾山で完成期を迎え、酒井抱一二まで至る流派・琳派の流れをくむ画派を研鑽していた頃の画号であり、北斎三十歳代の壮年期にあたる。
京都で隆盛を極め、江戸で栄えた淋派もようやく衰えをみせるが、北斎が活躍した頃の江戸淋派は命脈を保った頃といえる。
しかし、北斎が淋派の画法を研鑽したことによってその作品中に京文化の香りが、画品が備わったといえないだろうか。