貨幣・浮世絵ミュージアム
【保永堂版】歌川広重と東海道五拾三次
浮世絵展示室には、歌川広重の貴重な版画などの所蔵品を展示しています。また、映像コーナーでは保永堂版「東海道五拾三次」をはじめ、広重の作品をわかりやすく紹介しています。
江戸時代の東海道は、江戸と上方(京)を結ぶ最も重要な街道でした。
広重は天保3年(1832)に幕府の一行とともに京へのぼり、その時の体験と印象をもとに描いたとされるのが保永堂版「東海道五拾三次」です。53の宿場に始点(日本橋)と終点(京都)を加えた55枚セットの作品で、東海道ブームの中、広重は一躍浮世絵界のスターになりました。
雪に暮れ、月を望み、花を愛でる・・・。当時の広重の想いを感じる風韻の旅へ出かけてみませんか。
貨幣・浮世絵ミュージアム
【日 時】〜2022年2月13日(日)
【入場料】無料
【場 所】三菱UFJ銀行名古屋ビル1階
〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目21−24
※混雑時は、入場を制限させていただく場合がございます。
※観覧は30分以内でお願い致します。
【解説】品川は東海道の最初の宿場であり、東海道へ旅立つ人をここまで見送りに来ることが多かった。大名行列が通り過ぎる日の出の頃には、すでに茶店なども開店している。
歌川広重について
絵師を志し、芸に生き抜く広重
歌川広重は、寛政9年(1797)、江戸八代洲河岸(やよすがし)の定火消(じょうびけし)屋敷内の同心・ 安藤源右衛門の家に生まれました。本名は重右衛門(じゅうえもん)、幼名を徳太郎といい、ちょうど喜多川歌麿や東洲斎写楽が活躍していた時期にあたります。
13歳の時、両親を相次いで失った広重は浮世絵師をめざすようになります。はじめ歌川豊国への入門を願いましたがかなわず、文化8年(1811)15歳の時、当時豊国と浮世絵画檀の双璧であった歌川豊広の門をくぐります。翌年には師匠の一字「広」に俗名の一字「重」を加えた「広重」の画号を与えられ、17歳の時には歌川広重として早くも画作を発表しています。
広重と印象派
19世紀後半のヨーロッパ印象派の画家たちにとって日本の浮世絵版画にみる単純明快な色調や大胆な俯瞰図法(ふかんずほう)や広がりのある画面構成は、強烈な印象を与えました。特に、ゴッホやモネは広重の影響を大きく受けており、版画の模写だけでなく自らの作品に広重の構図や作品が取り入れられています。