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喜多川歌麿・浮世絵[美人画大判3枚続・全54点]

浮世絵師・喜多川歌麿は背景を省略して白雲母を散りばめ、さらにそれまで全身を描かれていた美人画の体を省き顔を中心とする構図を考案しました。これにより、美人画の人物の表情だけでなく内面や艶も詳細に描くことが可能になったのです。

歌麿は遊女、花魁、さらに茶屋の娘(三河の出のたかが有名で歌麿の死に水をとったとされる)などを対象としましたが、歌麿が取り上げることによって、モデルの名はたちまち江戸中に広まります。

これに対して江戸幕府は世を乱すものとして、たびたび制限を加えたが、歌麿は判じ絵などで対抗し、美人画を描き続けます。

1804年(文化元年)5月、豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした「太閤五妻洛東遊観之図」(大判三枚続)を描いたことがきっかけで、幕府に捕縛され、手鎖50日の処分を受けます。織豊時代以降の人物を扱うことが禁じられていたからです。

これ以降、歌麿は病気になったとされます。版元たちは回復の見込みがないと知ると、依頼が殺到したといいます。2年後の1806年(文化3年)、歌麿死去。墓所は世田谷区烏山の専光寺。戒名は秋円了教信士。

両国橋上下 (上)

両国橋上下 (下)

両国橋橋詰め

両国橋下の綱船

二見ヶ浦

三囲神社の御開帳 (向島の花見)

仮宅の後朝

唐美人宴遊の図

四手綱

土蔵相模での月夜の宴

大川端夕涼

大名屋敷の遊興に招かれた京伝

大黒屋店先に桜と遊女

契情三人酔 三副之内 腹立上戸 泣上戸 笑上戸

福引

婚礼之図

富士山麓の鷹狩り

婦人泊まり客之図

引手茶屋の俄衆

座敷狂言

御所車見立て行列

御所車上臈之図

御殿山の花見駕籠

扇屋十二美人張見世

新吉原仲之町ノ図

松葉楼 歌川 松風 若紫

柿もぎ

柿もぎ2

江の島岩屋の釣遊び

江の島浜辺1

江の島浜辺2

江戸名物錦画耕作 摺工・店先・新板くばり

煤掃き

福禄寿、弁天、布袋年賀の宴

若衆の舞

藤棚下の遊女たち

蛍狩り

見立て浄瑠璃姫

見立て御所車

見立伊勢物語 武蔵野

見立頼朝放鶴

見立業平東下り

貴婦人の人形芝居の鏡山

青楼歌舞伎やつし画尽 十番続

風流六玉川 右半分

風流六玉川 左半分

鷹狩り行列

駿河路の大名行列

釣り船

於鶴岡若宮静女飄舞袖

太閤五妻洛東遊観之図

七人猩々酩酊之図

針仕事

鮑取り

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