※本ページにはプロモーションが含まれています。

肌競花の勝婦湯・拡大(豊原国周 画)肌競花の勝婦湯・拡大(豊原国周 画)

あなたは「混浴」と聞いて、どんなことを思いましたか?

「いいね〜、女の・・・やっぱ、見たいもんね!」
「でも、正視できるかな!」

見れるということは、見られもします。つまり、こちらの一物も女性に見られるわけです。
おや、あなた、顔色に生気がなくなってしまいました?
「自信がない!」
「短小だから......」
「えっ!uenoメンじゃないが、ほっかぶり?」

まあ、こんな風に色々な思いが出てくるわけです。

「湯屋」は「ゆや」「ゆうや」と読みます。

江戸時代、水は貴重品です。(今もですよ)

だから、長屋など一般家庭には風呂がありません。武家屋敷でもあるところは少ないのです。だから、男も、女も、娘も武士もみんな江戸の湯屋に行きます。湯屋は大繁盛。

肌競花の勝婦湯(豊原国周 画)

「垢抜けた」という言葉

江戸時代、どのくらいお風呂に入ったか?
つまり、一ヶ月に湯屋にはどのくらいの回数いくかですが、結構入っていたようです。朝風呂を浴びてから、仕事に行く。そして、帰りにまた湯屋に寄る。1日何度も湯屋に行くと、乾燥肌になるそうです。これを「垢抜けた」と言って、粋がったのだそうです。
しかし、前に触れたように、水は貴重品。男風呂、女風呂と分けるほど水を豊富に使えません。だから男女混浴になったのだそうです。

混浴は禁止「寛政の改革」でも...

1791年(寛政3)「寛政の改革」をはじめ何度か「風紀が乱れる」という理由から混浴禁止令も出されました。が、水は貴重品。経済的に難しいなどの理由により亡くならなかっ調です。
明治新政府の厳重な取り締まりにより、混浴は禁止になりました。
混浴だった湯屋。スケベな輩もいますので、間違いは起きなかった?
やはり、あなた、若いピチピチ娘さんのそばに行きたいですよね。でも、母親やおばさんたちが鉄壁のガードでスケベな男性客から守ったそうです。おまけに、湯屋は暗かったそうです。
ちょっと、残念になりましたか?
「いあや〜、それでも混浴に入りたい!」ですよね。

混浴に驚いたペリー総督!

マシュー・ペリー総督と『日本遠征記』の挿絵マシュー・ペリー総督と『日本遠征記』の挿絵

黒船来航で度肝を抜いたマシュー・ペリー総督ですが、ペリー艦隊の公式日記『日本遠征記』の挿絵(上)で、下田にあった公衆浴場を描いたものです。

「日本人は道徳心に優れているのに、混浴しているのを見ると道徳心を疑ってしまう」と、日記に残しています。

【参考サイト】
男女混浴、江戸時代のお風呂事情を画像つきでまとめてみた。
https://edo-g.com/blog/2015/11/ofuro.html